大学時代の後輩の葬儀に参列

 大学時代の体操部の後輩の一人がこの間亡くなった。

 体操部のOB会から11月20日にメールが届いていた。
 何かと思ってみた。
 この間OB会の集まりは終わっていたし、部報の関係もOB会費支払いも済んでいるのに、と思った。

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         図1 器械体操の演技の状況

 メールは後輩Y氏の死亡のお知らせであった。
 後輩と仲のよかったK氏からの転送メールであった。

 K氏のメールには通夜、葬儀の日程が書いてあり、その他にOB会会長名で花を贈るので、賛同される人はOB会宛に3,000円の振り込みの依頼があった。
 出席しようかどうしようか迷ったが、とりあえず、OB会宛にお金を振り込んでおいた。

 後輩のY氏は医者で仲がよかったとまでは言えないが、顔見知り以上であるし、体操部の海の家の毎年のイベントのマネージャのような役目を果たしていたのである。
 また医者だったので、きっとお医者さんの弔問客がいっぱい来るだろうと思った。
 参列するとしたら通夜か葬式かどちらかと思ったが、通夜は夕方からで、知らない場所でウロウロするのも嫌なので、行くとしたら葬式かなと思っていた。

 喪服はあったし、黒ネクタイもあった。
 葬儀前日に御霊前ののし袋をコンビニで買ったが、それでもまだ迷っていた。

 でも迷ったときには行くことにしていたので、当日朝にのし袋にお金を入れ、表に名前を書いた。
 喪服は約40年前に母が買ってくれたものを着た。
 体形が少し窮屈になったものの、これほど前の喪服がまだ着られることが少し自慢であった。
 この喪服で直したところといえば、ズボンのチャックが締まりにくくなったので、取り換えたくらいである。

 もう一つの心配はネクタイが結べるかどうかであったが、何とか結び方を覚えていた。
 仏壇の引き出しから数珠を持って出かけた。

 湘南地方の葬儀場なので、遠い。
 多少時間に余裕を持って、朝の6時半には家を出た。
 行く途中にペットボトル500ml1本と新聞を買った。
 目的地には8時頃に着いたが、やはり場所はわからなくて、10分くらいウロウロして、わからないので、近くの人に聞いて、やっと葬儀場に着いた。

 葬儀は9時からであったから、1時間前に着いたことになる。
 一応ダメもとで会場に行くと、すでに受付の人が数人いた。
 受付の中にY氏の夫人らしき人がいたので、あいさつしようと思ったら、Y夫人の妹であった。
 Y夫人は葬儀の進行の打合せをしている、とのことだった。

 御霊前を受付に渡して、名簿に名前を書いた。
 その後、葬儀場の廊下でしばらく待っていた。

 そこには思い出写真集のビデオが設置してあり、何気なく見ていると、海の家での私の息子と娘の写真が映し出されていた。
 思い出写真集なので10枚くらいが繰り返し映されていた。
 何回か同じ写真を見ていると、何とそこには私も映っており、亡くなった妻も映っていた。
 一家4人で参加したのは息子たちが小学校低学年までで、それ以降は息子も娘も参加していない。
 だから、結果として妻も参加しなくなり、以後は私のみの参加であった。
 だから、4人が映っている写真は我が家でもそんなになく、我が家での海の家の4人一緒に写っている写真はない。
 思わずもらって帰りたいと思ったが、さすがに葬儀場でそういうことを言うのは不謹慎かな、と思ってやめた。

 しばらくそこで写真を眺めていると、何人か知っている顔の人がやってきた。
 その中で、メールの差出人のK氏とその夫人が来たので、Y氏の死の間際のこと、通夜のことを聞いた。
 K夫人も他大学の器械体操部でよく合同練習をしていた関係で私もよく知っていた。
 K氏によると、Y氏は最近糖尿病に罹っていたようで、10月末に具合が悪くなって入院し、それから心筋梗塞を併発して最期はそれが原因だった、とのことだった。
 K氏とY氏、それと私の同期のI氏が海の家のマネージャーグループのような関係だった。
 I氏は通夜の方に参列した、とのことだった。

 彼らとしばらく話していたら、葬儀が始まる時間となった。
 廊下で待っていた人が葬儀場に入り、私とK夫妻も近くに座った。
 私の隣にはずっと後輩のX氏(名前を忘れた)がいて、最近のX氏の様子などを聞いたりした。

 葬儀が始まり、真宗大谷派のお坊さんがお経を唱えていた。
 このお坊さんは坊主頭でなく、髪の毛がふさふさしたタイプで、サラリーマンがアルバイトでお坊さんをしているような印象であった。
 私が田舎の法事で聞いた張りのある読経と違って、あまりはっきり聞き取れないほどの声で、後で数人の人と、貧弱な読経だったね、と話した。

 Y氏は医者ということで、やはり医者関係の人が多そうだった。
 他に、芸能人やデザイナーの人が献花しているのが、名札から見てとれた。
 Y氏は多才な人で、ピアノを弾けて、囲碁・将棋もできる、数学関係の本も出す、等あふれる才能を持て余している印象だった。
 神奈川県の医師会の将棋部にも関係していたようで、葬儀の写真は将棋を指している近影だったようである。
 Y氏の近親者から順に焼香し、Y夫人と、娘、息子が焼香していた。
 私もX氏と同じ列で、数珠を左手に持って焼香した。

 その後、Y氏と親交があったスペイン人だったと思うが、たどたどしい日本語であいさつし、歌を歌うといい、「アメイジンググレイス」を英語で泣きながら歌っていた。

 弔電も読まれたようであるが、どういうものかは忘れた。

 その後、親族あいさつということで、Y夫人があいさつした。
 入院してから、2、3週間は一緒に過ごすことができて、最期のお別れができたようであった。
 私の時は妻の突然の死で、お別れをいうこともできなかったのに比べて、恵まれてたな、とつい思ってしまった。
 彼の開いた医院をどうするのかな、と思っていたら、彼の息子が大学病院の先生をしていたが、それをやめてY氏の医院を継ぐ、ということがY夫人から説明された。
 Y夫妻は傍から見ていると、おしどり夫婦らしかったので、がっくりしていたと思うのであるが、息子が後を継ぐというので、きっとほっとしていることだろう。

 葬儀が終わると、棺の前まで行き、お花を棺に備えた。
 そこでY氏の顔を見ることができた。
 穏やかな顔だったように思う。

 その後、ホールで火葬場への出棺を待っていた。

 その時に、1年上の先輩のY2氏を約40年ぶりに見た。
 最近までOB会にも顔を見せなかったのだが、昨年あたりからOB会に参加しており、私は逆に11月3日のOB会懇親会は欠席することが多く、会う機会がなかった。
 大学の先生だったのが退職したということで、暇ができたようである。

 体操部同期のU氏にも会った。
 このU氏とは学生時代から同じ学生アパートに住んでいたこともあり、人生観や体操の取組等について延々と議論して、徹夜したりした。
 この学生アパートの大家Fおばさんが麻雀好きで、体操部の連中を引き連れて、Fさん宅で徹夜麻雀等をした腐れ縁である。
 彼も大学の先生をやっている。
 彼が今年の年賀状で、喉頭がんと舌がんで手術したと書いていたので、その様子を聞いた。
 のどにひっかかりがあったことで、亡くなったY氏に相談したら、軽くみてはいけないということで、医者も探して紹介してくれた。
 早期のがんということで内視鏡で除去したらしい。
 それから、定期的に検診していたところ舌がんも見つかったので、舌の一部を切除した、最初はしゃべりにくい状況だったが、かなり回復した。
 彼はヘビースモーカーだったが、きっぱりやめたし、今は禁酒もしている、とのことだった。
 彼の禁煙は学生時代から何回もトライし、1か月やめられたといっては再開、というパターンで多分やめないだろうと思っていた。
 それがやめたと聞いてちょっと驚いた。
 でも何事もきっかけが大事で、彼の場合はがん、私の場合は妻が息子を妊娠した時にやめて欲しいと頼まれたことがきっかけだった。
 でも今のところ私は禁酒はしたくない。

 Y氏の出棺を終えて、皆帰ることになった。
 U氏は車で来ているとのことで、乗せてもらおうかと思ったが、渋滞するかも、というのが嫌で、電車で帰ることにした。

 駅に向かう途中で、ずっと後輩の4人グループ(今40代前後くらい)と一緒になった。
 歩きながら、また電車で東京に向かう中でいろいろ話した。

 主に話したのが、JAXAのT氏だった。
 他の3人は名前を知らない。
 最初に、今の器械体操は内村航平選手に代表されるように軽業的で、とても真似できない、命がいくつあっても足りないと言った。
 でも、私は「器械体操でやってきたことを通常の生活の中で取り入れられないだろうか。」と言ってみた。

 私は道路の歩道の白線があると、その上を平均台に見立てて、一直線に歩いてみる、とかをやったことがある。
 体操して右手を骨折した時に左手で食べていたことを思い出し、それ以後ずっとやっている。

 今調べてみたら、2005年(H17)3/20の私のブログで右脳・左脳のことを書いている。
 きっとその前にテレビか講演か何かで、右脳の話があったのだと思う。
 https://hitotsunoishi.at.webry.info/200503/article_10.html

 それからずっと、右手と左手で交互に食事することはやっている。

 また、今一般のボーリングクラブに所属してボーリングをやっているが、左右両手で投げていることを話した。 
 ボーリングは四十肩治療にもいいというと、グループの一人が四十肩らしくて、やってみようかと言った。
  (なお、ボーリングのルールに右手と左手で両手で好き勝手に投げてはいけないというルールはないが、正式な競技会では、投球時の投げる手を申請する、でもボーリングクラブのような同好会的なものでは構わない、とボーリングクラブの指導コーチには確認しておいた。)

 左右両手を使うことで、情報処理能力が上がっているような気がする、と言った。

 将棋の羽生竜王が以前脳波でその思考回路を調べた時に、普通の棋士は左脳を使うことが多いのに、羽生竜王は右脳が活発に動いているらしいことがわかった例を話した。
 羽生竜王が左利きということはなさそうなので、きっと将棋に負けたくないという強い気持ちが結果として、右脳を働かせることになったのかと思うと言った。

 右脳を活性化した(と思っている)ことで、最近は面白いことを考えていると言った。

 地震は宇宙から来る重力波が地球のプレートというアンテナで受信し、そこで震えて地震になる。
 つまり重力波は地球規模の波長を持つ電磁波みたいなもの、という仮説である。

 それを広げて考えると、太陽と地球の間の引力、太陽と海王星の間の引力等を地球規模以上の波長を持つ重力波で引き合うとすれば、瞬時に力が伝わることも理解できるのではないか、と言った。
 結構4人のグループは面白がって聞いてくれた。

 東京駅で彼らとは別れた。

 今私は、太陽と惑星群・水金地火木土天海との距離で、基準となる重力波と関連するようなものが出てこないか時々検討してみている。

 また、重力波がもし電磁波のように、地球の大きさのような規模から、一時期話題となった重力波観測装置LIGOでの超微小な波長までの領域までの幅広い領域をカバーするものと仮定する。
 すると、例えば素粒子と素粒子が引き合う力を合成していくと、恒星と惑星が引き合う引力までに高めるような重力波の合成や、逆にLIGOのような超微小な波長まで下げる重力波の分解も考えられるかもしれないと思う。 

 ベクトルの合成・分解は簡単に高校数学程度でできたが、重力波の合成・分解は簡単にはできないか。
 その前に電磁波の合成・分解はできるのか。
 海面に浮かぶ波の合成は簡単にできそうだが、波の分解はできたかなあ。

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         図2 波の合成の一例(インターネットに載っていた図)

 後輩の死、友人の早期がんの話は、死が身近に迫っていることを感じさせたものとして、前立腺がんと向き合わないといけないと思わせた。

 さて12月は放射線治療月間となるかどうかが当面の問題である。

 とりあえず、この間、R病院の担当のS先生には、放射線治療を受けたいが、R病院は遠すぎる、東京の病院に転院したいというと、あっさり了解してくれた。

 12月には、その転院先でまず面談となっている。
 状況がわかれば、また報告したいと思う。
   -以上-

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