幻の親族会議

 親族会議を開く予定であった。

 しかし、都合により中止とした。

 考えとしては7月の初め頃に浮かんでいた。息子と娘は共に田舎に住む、ということは考えていないし、また住もうとしても難しいと思う。
 私は田舎育ちであるから、ある程度田舎に住むことの難しさは知っている。妻の実家であり、妻か義父でもいればその人脈を基に人脈を広げていくことも可能であるが、二人ともいない状態では人脈を広げるのは難しい。
 また、「放射線何でも相談室」も8月11日現在1件の相談もなく、相談室をこれからもやっていくかどうかそろそろ考えなくてはいけない時期である。
 義父の田舎の近くに住む親戚のA氏に親族会議を9月の初めに開きたい、と言った。別に反対もなかった。
 7月の末頃に関東圏に住む義父の弟B氏にも9月に親族会議を開きたい、と連絡した。2、3年で義父の田舎の家等を処分して東京に引き上げたいと言った。B氏も上記の理由を説明すると、彼も田舎育ちで都会暮らしをしているので、義父の田舎で私たちの誰かが住む難しさを理解して、了解してくれた。
 問題となるのは、お墓と仏壇のことである。お墓は永代墓に、仏壇の位牌は東京に仏壇を用意するので、そちらに持っていくという予定も話しておいた。

 お墓と位牌については義母のこともあり、義母の親族の意向を聞く必要もあるので、義母の親族の代表であるC氏に連絡した。すると、C氏は今年の7月初めに脳動脈瘤の手術をして現在療養中であり、いつ頃通常の状態に戻れるか不明の状態である、とのことであった。
 そういうことであれば延期せざるを得ず、延期する旨を言って電話を切った。
 その後、すぐB氏に連絡し、C氏の健康状態がすぐれないとのことで延期とした。また、A氏にも連絡し、C氏のことを話した。A氏も延期を了解してくれて、なおかつ見舞いに行った方がいいのではないかと提案された。義父が入院した時にC氏はよく見舞いに来てくれた、とのことだった。
 また、息子と娘にも田舎の家の処分等について話をしておいた方がいいとの提案もあったので、田舎に行く前に話をした。息子は働いているので文句はなかったが、娘は貸家から得られる家賃収入を手放すのは惜しいので不動産屋さんを仲介として東京にいて管理したい、と言った。ただ、貸家の修理や火災保険、不動産屋との交渉等の今はA氏に依頼していることを娘が東京にいてやることの難しさを言うと不承不承ながら了解した。
 8月に義父の田舎に行って、隣近所用とC氏のお見舞い用にみやげを買っていき、早速C氏に連絡した。療養中とのことなのでA氏と二人で見舞いに行きたいがどうか、と打診した。
 C氏は全身麻酔で4時間の手術をした後であり、もう高齢であるから療養第一と考えている、とのことで見舞いは遠慮して欲しい、というような言葉のニュアンスであった。
 この言葉のニュアンスが曲者で、阿吽(あうん)の呼吸というか、窮状を察して欲しい旨の雰囲気を感じ取ったのである。
 こうした気配り、阿吽の呼吸、行動の帳尻合せのようなものが田舎の人間関係で必要なものである。A氏にしろ、C氏にしろ、純然たる田舎の人間であり、近からず遠からずの関係を生得的に身につけている。B氏も同じである。
 私も岡山の田舎育ちであるから、こうした田舎の独特の人間関係を多少なりとも理解しているつもりであるが、息子や娘はこうした関係は小さい頃からまるで経験がないし、二人とも合理的な考え方の持ち主なのでこうした阿吽の呼吸等を理解するのは難しく、田舎に住むのは無理であろう。

 8月10日、東京に帰る前にもう一度C氏に連絡して再度お見舞いの件を申し入れたが、暗に断られた。やはり体力に自信がないのと、おそらく私とA氏が行くとそれなりにもてなさないといけないというC氏の生来の律儀さがこの場合は本人の重荷に感じたのであろう。
 A氏はその点に関してC氏本人に会えなくても、奥さんにみやげでも渡してくればいいという気軽な気持ちであったようだが、C氏の律儀さはそうした軽い気持ちでは向きあえない種類のものであっただろう。
 ここしばらくはこうした親族会議は遠慮するとして、A氏は次回の妻の3回忌にそうしたことを話してはどうか、との提案をもらい、それに同意して東京に帰ってきた。

 田舎の人間関係は一筋縄ではいかないことを考えさせられた一件であった。

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