科学と非科学の文献は共に興味深い

 今週は2つの科学の本を読んだ。

 1冊目はブルーバックスの「科学の大発見はなぜ生まれたか」-8歳の子供との対話で綴る科学の営み-ヨセフ・アガシ著、立花希一訳、講談社2002年とある。
 積んでおいた山からとりだしたらこれだった。8歳の子供との対話かなあ。早熟な子供らしい。著者のアガシ氏はヨーク大学の教授で専門は科学哲学ということらしい。
 ギリシア哲学から説き起こしており、アリストテレスの天動説からコペルニクス、ガリレオの地動説、ニュートン、アインシュタインと続いてくるらしい。その説くところは「定説」とされる科学理論を正確に理解した上でそれを批判し、修正していく試みの連続である、とのこと。科学の基本的な思想の流れを示しており、わかりやすいといえるかもしれない。しかし、これを8歳の自分の子供と対話したということは事実らしいが、早熟な子供では話に飛躍が感じられ、通常の子供はここまで理解が進まないと思う。私も娘と科学、息子と数学の話をしたことはあるが、教科書の範囲での話で科学や数学の基本思想は理解していないと思う。でも知的好奇心は息子も娘も持っており、息子は数独、娘はパソコンにそれぞれ独特の感性を持っている。それで今は十分か。

 もう一冊は『超科学書「カタカムナ」の謎』工学博士深野一幸、廣済堂出版、1998年とある。この著者は東京工業大学の応用物理学科卒の工学博士らしいが、どうしてこんな本を書いているのか不思議である。
 私は非科学的な文献も嫌いではない。なぜなら、現代の科学のブレークスルーは科学から生まれることもあれば、非科学の中から生まれることもあると考えているからである。今の科学の常識が100年後の科学の常識ではない。だから、こうした非科学の文献も読んで、その中から科学の新展開につながるヒントでも得られたら、と思う。
 本文献は約1万年前に日本で書かれたという「カタカムナ文献」の紹介のようである。カタカナの元になる用語であると言われればそうかもしれないと思う。
 私は日本人だから、大昔の日本人が文化的な文献を残していたら日本人としては誇りたいと思う。何せ、教科書で習ったのは中国の歴史の魏志倭人伝の奴国の金印、日本人で言えば、古事記と日本書紀と決まっていた。でもこれらは大陸渡来の人が向こうの用語を日本風に工夫して作り変えた模倣文化であるから、日本人が独自に作成したものではない。でも大和朝廷は征服民族であるから、被征服民族である原日本人の文化があってもおかしくはないと考える。
 少し前に竹内文書(たけのうちぶんしょ)という日本人が書いたと言われる文書、神代文字と言われる文字の存在も議論された文献も読んだ。日本人の誇りという観点から見直してもいいだろう。ただ、約1万年前に書かれたと言われると少し違和感がある。しかも宇宙の成り立ちのビッグバンの成立を疑問とする説があった、と言われると少し眉にツバを付けたくなる。
 ただ、ひらがなは漢字から変形したと言われているが、カタカナの成り立ちについては聞いたことがない。そのカタカナの元になる、という点はもう少し情報収集してもいいかもしれない。この「カタカムナ文献」の研究をしていた故・楢崎皐月氏の後継者である宇野多美恵氏の「相似象学会」に関することに注目しておきたい。

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