沖縄は晴れだった(その1)

 沖縄に行ってきた。その1日目を記録する。

 なぜ沖縄なのか?その理由が私はわかっていなかった。だから、羽田に行く途中のタクシーの中で妻に聞いた。「なぜ沖縄に行くんだっけ?」「ええ。娘のリクエストよ。」娘に「なぜ?」娘曰く「友達が行っていたから。だから行ってみたかったんでお母さんに言ったの。」うーむ。そうだったのか。行く途中で理由がわかるなんて私くらいのものか。聞いていたタクシーの運転手さんはどう思ったかねえ。

  とにかく、8/15(水)朝8:30頃タクシーを呼んで、荷物を積み込み、羽田空港へゴー。都心は混んでいないのかスムーズに着いて、搭乗手続きを終えた。待合室で高校野球を見た。さあ、出発。相変わらず飛行機は怖い。機体が浮く瞬間のあの不安定感がいつも慣れない。
  でも今回は何か違う。何だろう。どうも家族が一緒だからだろう。今航空機事故でこの機が墜落しても私一人ではない。家族も一緒という妙な安心感がある。三途の川を自分一人で行かない安心感か。
  でも行いが悪いと私一人の可能性もなくはないが、とにかく家族と一緒という安心感が私を包む。自分一人で会社の用事で行くときと違う感覚がそこにあった。

 沖縄到着。めんそーれ。いらっしゃい、ようこそ、という意味らしい。沖縄らしい発音に出会う。旅行会社がタクシーを手配してくれていた。タクシーの運転手の名前がいかにも沖縄らしい変わった苗字。ここには書かない。タクシーは宿泊先のホテルへ案内してくれるだけのものだが、交渉して観光案内してもらうことに。1時間2千円で3時間分の超過料金とのこと。家族4人で移動することを考えればまあいいか。

 沖縄といえばひめゆりの塔しか浮かばない。妻は何10年か前に来たことがあるらしい。ひめゆりをリクエストしたら、それに関連した史跡をまず案内してくれた。旧海軍司令部壕がある海軍壕公園である。海軍が籠もっていた壕があった。要するに海軍が昭和19年に作ったトンネル状の壕で牛島司令官が自決した昭和20年6月23日に役目は終わったようである。トンネル内はひんやりとしていて、モグラがはいずっている印象だった。沖縄の地上戦の一端を垣間見せる壕である。内部にはまだ怨念が籠もっているのか、妻は霊に取り付かれたような錯覚にとらわれたらしい。

 次にひめゆりの塔に行った。沖縄戦の悲惨な出来事の一つとして語られてきたもので、ひめゆり平和祈念資料館にも行った。南風原(はえばる)の沖縄陸軍病院に沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高女の生徒222人が配属されて悲劇は始まったらしい。沖縄守備のために犠牲になった人たちの無念が思い起こされて今ここに記録している時も涙が出る。鎮魂のために何ができるか。祈念資料館で感想を書いてきた。ここの女学生の無念の思いを何かの形で残せないか。一つの例として残存者や家族による精霊流し等は考えられないか。資料館も貴重なものだが平和へのメッセージ発信に弱いと思う。思いを形に、何かーーー。

  最後に摩文仁の丘に行った。各地から沖縄戦に散っていった人たちの墓群である。米軍の人の墓もあると聞いて、戦争の別の部分も垣間見た感じがする。人として敵味方の立場を超えた思想が見える。日本人の博愛主義の表れか。それとも武士の情けか。

  ホテルに着いた。ホテルの部屋から海の景色が鮮やかに見えた。
  夕ご飯のついでに三線(さんしん)のショーを見た。ここにも別の沖縄があった。あざやかなショーの女の人の衣装。ついさっき見てきた沖縄戦の印象とこのショーとがどうにも頭の中で整理できない。

  こうして沖縄旅行の第1日目は終わった。

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  • 家族が沖縄へ~♪

    Excerpt: どうも~~♪つい先日まで寒かったのに3日程でまた春陽気に戻った沖縄で相も変わらず寒さに磨きがかかったようちゃんです♪♪どうぞよろしく(~Д~) Weblog: ようちゃんの日記 racked: 2008-01-20 02:23