備えあれば憂いなし-元寇

 日本と外国が交戦した例は多くない。奈良時代の白村江の戦い、和寇、元寇、豊臣秀吉の朝鮮の役、幕末の四カ国戦争、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争であろう。
 そのうち、元寇についての物語を読んだ。

 高橋克彦氏の「時宗」である。時宗は鎌倉幕府の第8代の執権であり、NHKのドラマでもあったので有名であろう。私は太平洋戦争の神風という観点から、神風の正体とは何か、という点に興味を持った。
 時宗の父親の第5代執権の時頼から物語は始まった。高麗で国を滅ぼされた謝一族のよってモンゴルの脅威が伝えられた。時頼はこれに備えるべく、国内の内紛をつぶして、執権勢力温存を図り、モンゴルがもし攻めてきた時の対策を考えてきた。しかし、病気に倒れ、その意志は息子の時宗に引き継がれた。
 
 いよいよモンゴル襲来。壱岐、対馬は襲撃され、住民は悲惨な目にあう。手のひらに穴を開けられ、囚人として捕らえられる、というくだりに恐怖。毒矢を用いる兵士。日本の伝統的な戦闘方法とは違うもの。鉄抱という手りゅう弾的な武器。鉦を鳴らして戦闘隊形を変える。当時の日本の常識にないことばかり。でも日本は肉を切らせて骨を断つ作戦に出て、さあ決戦という時に台風があり、モンゴルは戦いを中止して引き上げ。文永の役。

 日本は次の戦いに備えてモンゴル(蒙古)の首都大都にスパイを先入させ、情報戦を繰り広げる。日本に対する戦略の固定化を画策する。なぜ、日本の九州に攻めてきたのか。他の地域から攻めれば成功したのに、九州にこだわったのか。日本国内の武士にはモンゴルが攻めてくる、との危機感をあおり、金を出させて、築地という馬が使えない土塀的なものを北九州のモンゴル上陸予想地域に築く。敵がまた攻めてきた時に、これ迎え撃つ。敵の連合軍(高麗と南宋)の足並みが揃わなかったとはいえ、東北の十三港の安藤水軍と九州の松浦水軍という2大水軍を日本水軍として成立させ、モンゴル軍を迎え撃った。また、捕虜から、モンゴル軍に疫病が発生していることをつきとめ、日本上陸が作戦でなくやむなく上陸したことを逆手にとり、これを徹底的に攻撃して打ち破り、最終決戦という時に、またも台風がきて、モンゴル軍は全滅という歴史が残った。弘安の役。

 これを後世の人は神風と称して、日本には困った時には神風が吹く、という誤った観念を植え付けたようだ。

 私は太平洋戦争の日本軍が神風を信じ、神風特攻隊という訳のわからない無謀な突撃をしたのか、ということの原因をさぐろうとしたものだ。

 結論としては、よくこの歴史をわかっていなかった人たちが表面的な出来事のみを都合よく解釈したものではなかったか、ということを想像している。

 これが真実かどうかはまだわからない。太平洋戦争の本を何か読んでまた考えてみたい。

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  • 2006.08.05 23 元寇防塁跡

    Excerpt:  皆さんご存知の通り1200年代後半・・・まあ、俗にいう鎌倉時代に日本は二度、クビライ・ハンが率いる元帝国(まあ、昔のモンゴル)により攻撃を食らっている。もちろんまったく勝ち目がないはずの戦いのはずだ.. Weblog: 人生色々 racked: 2006-08-22 23:49