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zoom RSS 私の会社員生活を振り返って

<<   作成日時 : 2018/01/07 15:17   >>

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 私の会社員生活を振り返ってみた。

 昨年、すい臓腫瘍の疑いがあった中で、自分の人生を多少考えてしまった。

 過去を振り返らず未来を見る、というのが正しい考え方なのであろう。
 しかし、会社員時代を振り返ってみて、ある種の反省をしてみても、これから先の進み方に多少なりとも寄与できるものであればよいのではないかと思う。

 幸いというべきか、不幸というべきか、私は会社員時代に業務日誌なるものを大学ノートに延々と描き続けたのである。
 これが退職の時まで32冊に上っている。
 また、これらの業務日誌を1週間に1回手帳に書き写していた。
 手帳も、初期の頃は家庭のことのみ書いていたが、途中から家庭用と業務用の2冊に分けて書いたので、こちらは50冊くらいの分量の手帳がある。

 これを退職してから、家庭用と業務用の手帳の記録を延々とEXCELの中に書き写していた。
 だから、私の32年間の足跡がすべてこのEXCELの中に保管できた。
 保管しただけではもったいないので、いつかブログに書いてみたいと思っていた。
 昨年のすい臓騒ぎの時に、これらの記録のまとめも終了していた。
 ただその後何をするでもなく、ただ記録は眠っていたままであったが、ふと今までの記録をブログに載せてみようと思い立ったのである。

 図1に私の会社員時代の履歴の縮図のフローチャートを示す。
 簡単にいえば、これで一応すべて、ということになる。

画像

          図1 私の会社員時代の履歴のフローチャート

 大雑把にいえば、研究者生活20年、技術営業職6年、設計技師(者)生活4年、事務職2年で計32年になる。
 このうち、社内20年、社外12年(出向)となる。

 入社時から順に振り返ってみる。

 会社への入社は単純なもので、大学の研究室の指導の先生と私が入社することになる会社の重役さんが懇意で、その関係で紹介してもらったのである。
 他に何社か受けたが、原子力以外の会社を受けたのでほとんどだめであった。
 また、教員になることも並行して進めたが、教員採用試験にも受からなかったし、教員免許取得に必要な科目の最後の教育心理1科目は修士論文の発表と重なって確か試験を受けられなかったと思う。
 したがって、教育実習にも行ったものの、教員免許も取得できずに終わってしまった。
 結局、この会社に入社したのである。

 私は元々化学屋で大学の時も化学系の研究室であった
 入社してから、最初は放射線計測関連のテーマを与えられ、研究者としては順調だったと思う。
 しかし、放射線計測分野は元々得意というわけでもなく、途中から与えられた課題が重荷となって、研究に進展が見られなくなった時点で、この研究テーマは別の人に代えられた。
 私には別の研究テーマとして、再処理関係のテーマを与えられた。 
 この研究テーマは化学の素養を活かせるので自分なりに努力したつもりでいたが、結果が出ないということで、研究者としての見切りをつけられたのだと思う。
 ここで、別の部署に移るように言われ、40歳手前で、新たな人生となった。

 この時、妻に「会社を辞めようかな」と言ったと思う。
 ただ、妻は共働きであったが、その職種上から来る情報で、中途で辞めた人間にはいい職業は見つからないから辞めないで欲しい、との意見だった。
 また、その頃はまだ結婚時に購入したマンションのローンの返済もかなり残っており、子ども2人も小さいことから、辞めないで言われるままに職場異動となった。

 新しい職場は技術営業で、今までの仕事と大きく変わって不安であった。
 今までは与えられたテーマに沿って研究だけやっていればよかった。
 しかし、技術営業は研究テーマを与えられると、そのテーマに沿って、社内と社外の関係する人の調整や予算獲得等をする役割である。
 社内においては以前の職場のような研究者を相手に、研究テーマに沿った研究のやり方を考えてもらうことや、それを社外のスポンサーとなってくれる人との折衝を、普通の営業マンたちと一緒に説明すること等が期待された。
 今までの研究生活と違って、あちこち飛び回ることになった。

 新しく私の上司になった人がやはり以前研究職だった人のようであり、いろいろ心配してくれて、業務の負担があまり増えないように配慮してくれたようであった。
 ただ、これをいつまでやるのかな、と思っていたが、1年で終りになった。

 社外に行って、設計関連の仕事をする、との話があった。
 実はこの設計は社内の研究者時代の後半の「研究者2」の時に手掛けた研究テーマに関連した再処理の設計に関する業務であった。

 初めて社外に出ることになったが、「研究者2」の時に社外で研究テーマに関する説明や資料作り等で、こうした折衝には慣れていたこともあった。
 だから、今度の異動は社外の出向にもかかわらず、あまり心配をしていなかった。

 出向ということでは、一応会社の看板を背負っていることになる。
 私が何か悪いことをすると、出向元の会社にも迷惑がかかるし、何だ、お前の会社はこんな人間しか出せないのか、という出向元の会社の悪い評判にもなるものである。
 だから、心配してもよさそうなものなのに、それはなかった。

 慣れというのは、研究そのものにはよくない作用をするが、こうした心理の不安定さはないので、すんなり出向先の会社にも溶け込めたと思う。

 ただ、出向先の会社でしばらくして組織替えが行われて、最初の頃に与えられた設計業務はすぐに終了となり、次にまた全く新しい業務として、官庁折衝の担当に割り当てられた。
 その時には出向先の人間関係も悪くなく、最初に所属した課の人間も結構多い部署に配属されたので、この出向先の組織替えによる業務内容変更も何とか乗り切れた。

 当初の約束では2年間の出向であったが、気に入られるか、何も落ち度がなく無事に過ごせれば、2年間の延長があるのが通例である。
 私の場合、人間関係の良好なことと、一応設計業務には研究の側面と設計の側面の両方の視点で見られるという独特の能力を偶然ながら身につけていたので、多分出向先には気に入られたのではないかと思う。
 でもひょっとしたら、出向元の会社では出向に行くのを嫌がる人も多いから、それで出向に慣れた人には多くの期間出向してもらうということだったかもしれない。

 この4年間を終えて、元の会社に戻ると、また、前とは違う別の技術営業の業務を割り当てられた。
 この技術営業は主に再処理関連の図書を扱う業務であり、再処理関連の会社との折衝や再処理関連の図書管理業務であった。
 あまり面白くないな、と思いながらも、再処理関連の業務は慣れていたので、何とかやれた。

 それを1年間やって、次の業務がまたガス機器関連の研究職として出向する話であった。
 研究職に戻れるというのはうれしいことであったが、出向先で務まるか、という不安が出てきた。
 出向先の人間関係でもこの時はかなり苦労した。
 研究職に戻ったこともあり、危険物を取り扱うということも多かったので、危険物取扱の免許を取っておいた方がよいと思い、甲種危険物取扱者の試験を受けて資格を取った。
 この職場の人間関係では苦労したが、研究成果は評価されたようで、2年間の出張+2年間の延長+最後の研究引継ぎ処理1年の計5年間の出向となった。
 それともやはり出向元の会社の人材不足ということだったかもしれない。

 出向解除後の職場はまた技術営業で、今回は会社が納めた製品のトラブル対応の部門に配属された。
 このトラブル対応は研究者1の時に関係した放射線計測関連の業務が多く、また、新規の研究に関するとりまとめ役のようなこともやらされた。

 この時何を思ったのか、第一種放射線取扱主任者の試験を受け始めている。
 試験を受け始めたのは2004年のことである。
 多分その前の出向時に人間関係で苦労したうちの一つが、私の部下になった人が第一種放射線取扱主任者の資格を持っており、その部下とかなり激しく研究内容の議論で衝突したことがトラウマとしてあったのかもしれない。
 この試験の物理・化学、放射線計測技術、放射線障害防止に関する知識は人並みにあると思っていたが、苦戦したのが生物学と法令であった。
 この2つの科目はあまり習ったことはないので、第一種放射線取扱主任者用問題集を取り寄せて、毎年7月くらいになると、仕事が終わってからちょこちょこ勉強して、8月20日前後の2日間の試験を受けたのであるが、毎年落ち続けた。
 途中で研究所時代の顔見知りも何人か受験していたが、そのうちいなくなった。
 受かったのか、途中であきらめたのかはわからない。

 技術営業で3年過ごしていた時に、またも研究職として出向、という話が出て、またも研究者4としてのスタートとなった。
 この研究職としての出向も以前の出向も共に単身赴任である。

 今回の研究者4の生活は研究テーマが化学系のもので業務的にはOKであり、同僚となった人たちとの関係も良好であった。
 しかし、直属でない上司との人間関係に躓き、結局、出向元の会社に申請して、2年の出向+2年の延長の途中で出向元に戻ることになった。
 でも私の代わりに出向してくれた人は研究職の人ではなかったので、出向先の研究業務は負担だったようで、出向後数回にわたり、私宛にメールで研究内容の問合せ等があった。
 逐一すぐに対応したので、何とか私のやり残した研究テーマの業務はこなせたようである。

 元の会社に戻った時の前後に第一種放射線取扱主任者試験に合格し、その年の12月に第一種放射線取扱主任者講習会に参加し、めでたく第一種放射線取扱主任者の免状をもらった。

 出向元の会社では、期間途中の出向解除のため、事務仕事が少々と特許関連のトラブル対応という業務が与えられた。
 事務仕事としては会社内の業務マニュアルの整備や膨大なA4ファイルの整理等が主なもので、何となく日干し感があった。
 ただ、外部の人間も含む講習会の事務局をやったり、受入図書の管理をしたりと雑多な業務をこなした。
 また製品のメンテナンスに関する外部との折衝等もたまに加わる等のこともあった。

 このまま、定年退職までいって終りかな、と思っていたら、四度目の出向の話がきた。
 今度は事務仕事の延長線上のものであった。
 一応講習会の事務局等をやった経験が認められたのか、今回の出向は都内であり、講習会の開催等の支援であったから、負担としては楽であった。
 ただ、この時にはもう妻は亡くなっており、定年退職までのあまり先の見通しもないことから、出向先から、出向元の会社の課長に退職を申し入れて了解された。
 その時58歳で、定年にはまだ2年間あり、中途退職のはずであったが、会社は定年退職の扱いにしてくれた。
 役職としては最後の出向で部長待遇となったが、ほとんど主任クラスであった。

 以上が私の会社員生活32年である。

 私のブログのテーマで見ると、(1)原子力、(2)科学、(3)防災、(4)家族、(5)健康、(6)ボランティア、(7)将棋、(8)読書、(9)雑記の項目である。
 今の私は原子力のことを主に、福島原発事故から防災に目を向けている状況にある。
 研究者としては、原子力と科学の2つの分野でエネルギー関連の研究等を独学でやっている。
 研究者としてのやり方、設計技師としての見方等俯瞰的な見方ができる履歴となったことは幸いである。
 福島原発事故を契機として、原発以外のエネルギーのことや、原子力防災から広く一般防災にまで考え方を広げることができた。
 これから先の人生でどれくらいのことができるかわからないが、健康に気をつけて、いろんな研究にまい進したいと思っている。
 よろしければ、これからもお付き合いください。
 −以上−


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