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zoom RSS 福島復興応援ツアー

<<   作成日時 : 2017/07/30 10:19   >>

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 この前地元の有志と福島に旅行に行ってきた。

 地元の有志とは月に1回集まって例会を行い、いつもであれば、時事問題等をあれやこれや、と話していたのだが、3月くらいにどこか旅行に行こう、という話になった。
 最初は箱根とか考えていたが、福島は東日本大震災の影響でまだ旅行に行く人も少ないかもしれないから、福島に行こう、となった。
 4月の例会ではみんなが福島県内のいろんな場所を提案した。
 NHK大河ドラマ「八重の桜」の舞台だった会津若松(郡山駅から磐越西線に乗り1.5時間くらい)がいいのでは、となった。
 温泉と一緒に、ということで、会津若松に近い東山温泉がいい、ということで一致した。
 日時として6月と決まったが、メンバーの一人が東京都議選の不在者投票の管理員となっていたので、その日程と調整、となったが、結局、当初の予定通り6月28日の水曜と決まった。
 参加メンバーは私を入れて3人である。
 その場ですぐに温泉宿に連絡を入れて予約を取った。
 6月28日には会津若松の鶴ヶ城と白虎隊の墓を回り、東山温泉に1泊予定としたが、翌29日は余裕を持って何も決めなかった。
 集合は東京駅の23番ホームの10:00発車のやまびこ133号の1号車付近に9:45に集合とした。
 万が一遅れた場合は温泉旅館の電話番号等も周知していたし、各自の携帯番号も私のスマホに登録していたので、あまり心配はしなかった。

 6月28日は雨模様であった。私は義父宅に行くのとほぼ同じ装備で、靴下と下着のみは準備した。傘も持って行った。
 また、福島は寒いことも考えられたので薄手のジャンバーを着ていった。

 東京駅に着き、新幹線の切符を買ったが、郡山駅以降の磐越西線がJRかどうかわからなかったので、郡山駅までのやまびこ133号自由席券を買った。
 23番線の1号車付近に行ってしばらくすると、K氏とI氏がやってきた。電車の中でもワイワイと話していたが、何を話していたかは忘れた。

 郡山駅に着いて、磐越西線はJRということがわかったので、SUICAを使って乗車した。郡山11:39発であり、電車賃1,140円であった。
 3人で座っていたが、向かい合わせの4人席で、もう一人お客がいた。
 このお客I2氏と何となく話をした。I2氏はマグロの取扱業者さんで、マグロの冷凍管理について熱く語ってくれた。
 マグロの冷凍はマイナス60℃で管理するのが味が落ちない方法らしく、またこの冷凍機についても料理の人にプレゼントした逸話等を話してくれた。
 私は別の観点で注目した。
 防災において、ドライアイス温度マイナス70℃、液体窒素温度マイナス196℃の温度で消火すると、新型の消火器になるかな、ということである。
 帰って調べてみると、マグロの冷凍についての色々な情報が見られた。
 私は大学時代にドライアイスや液体窒素を使った実験をしていたが、大学の実験という限られた中でのものだったので、汎用性はないと思っていた。
 でも冷凍機器というのが割と身近に開発されているので、これらを防災に応用するのも可能かな、と思った。

 昼過ぎに会津若松駅に着いたので、昼食を近くで食べた。
 さて観光ということで、鶴ヶ城へはどう行こう、と思った。
 すると駅前で観光用巡回バスが出ており、フリー乗車券を買うと500円で1日乗り放題ということだった。このバスの名前が「ハイカラさん」と「あかべえ」という2種類のバスがあった。
 「ハイカラさん」のバスに乗って行った。
 バスの中には小学生か中学生くらいの5,6人のグループがいて、どこかの工房に行くらしかったが、下りる場所を間違えていたみたいだった。自由研究か何かかな、と思った。
 また、途中に野口英世青春館というのもあって、野口英世は福島出身だったのだ(記念館は猪苗代湖付近にあるらしい)と改めて思った。もし時間があれば寄ってみようと思った。

 鶴ヶ城の手前で降りて歩いて行った。
 途中のお茶屋さんに日本酒アイスなるものが売られていたので、食べて行こうとなった。
 茶屋のおばさんと話していると東京出身だった、と聞いて驚いた。
 鶴ヶ城はNHK大河ドラマ「八重の桜」の戊辰戦争主戦場であった。もちろん綾瀬はるかの写真等も飾ってあった。
 そこに歴史も数々あった。
 鶴ヶ城の歴代藩主の説明があって、芦名家、伊達家、蒲生家、上杉家、加藤(嘉明)家、保科家、松平家と続いた。
 会津120万石を領有した上杉景勝が関ヶ原の戦い以降に米沢に移されたこと、その後に徳川家光の異母弟保科正之が領主となった。
 しかし、保科正之は保科家に恩義を感じ、徳川家から松平姓を名乗ることを許されてもこれを名乗らなかった。 孫の代になって初めて松平姓を名乗り、幕末に松平容保の登場となる。
 この容保は高須藩の四男で、養子として後を継いだ。
 色々な悲劇がそこから起きる。
 私がNHK大河ドラマ「八重の桜」で覚えているのは家老の西郷頼母<西田敏行>一家の悲劇である。山本(新島)八重<綾瀬はるか>の鉄砲を撃つ姿も覚えている。
 鶴ヶ城のすぐ横に茶室「麟閣」というのがあった。
 蒲生氏郷の庇護の下に、豊臣秀吉に自害を強いられた千利休の子どもが生き長らえて、後に表千家、裏千家、武者小路千家の三千家がここから生まれることになったらしい。
 ここからまたバスのアカベエに乗り、会津若松駅前に戻った。
 白虎隊の墓にも、と思っていたが、鶴ヶ城の見学で終わってしまい、翌日も結局いかなかった。鶴ヶ城の中に白虎隊の隊士等の説明もあったからである。
 予め旅館に送迎バスをお願いしており、17時に待ち合わせて、送迎バスで温泉宿の東山グランドホテルに行った。

 ホテルではカギの管理とかが心配であったが、部屋の金庫もあり、また、お風呂場にもロッカーがついていたので、セキュリティ上では問題はなかった。
 各自が2,3回ずつお風呂に入って、疲れを癒した。

 夕食は大食堂のようなところでバイキング形式のものであった。
 ちょっと感心したのは、入口に大きめの輪ゴムが置いてあり、ホテル用浴衣の袖が醤油や食べ物に当たらないような工夫をしていた。

 寝る時に私はいびき防止用マウスピースをしていたので、いびきはかかなかったと思う。他の人がどうだったかは先に寝てしまったのでわからない。
 翌日は前日に見に行きそこなったところに行く、ということで、10時にホテルを出て、近くの会津武家屋敷の場所まで、ホテルのバスで送ってもらった。
 ホテルの宿泊は1泊1万円弱であった。

 会津武家屋敷は家老西郷頼母等の住んでいた武家屋敷で、水車を利用した藩米精米所等もあった。
 当時の武家の様式が再現されていた。
 西郷頼母の家族のほとんどが自刃した悲劇は胸が痛んだ。
 ただ、西郷頼母の養子で明治時代に講道館の西郷四郎(姿三四郎のモデル)がいたことはまた意外であった。

 歴史のつながりはどこでどうなったのか、というまだら模様のようなところがある。
 そういえば、会津藩の人は明治時代に警察関係に多く在籍していて、西南戦争の際には官軍側として、西郷隆盛を自刃に追い込んだのもまた歴史の皮肉といえようか。

 会津武家屋敷を出て、次にどこにいくか、となった時に、私はもう十分歩いた、ということでギブアップして駅で待っていると言った。
 I氏とK氏は陶器の製作に関する工房のようなところに行ったようであった。

 14時頃に会津若松駅で合流し、磐越西線、続いて新幹線と乗り継いで東京に帰って来た。

 今回の福島復興応援ツアーは色々と歩いて、帰ってきて以降も足がガタガタで、回復するのにしばらく時間がかかった。

 ただ、歴史のある場所を訪ねていくと、いろんな発見もあるし、またささやかな福島復興応援にもなるので、今後も機会があれば、旅行等を考えてみたい。
                          −以上−

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